札幌医大の神経精神科助教授から昨年10月から長崎大学の精神科の教授として赴任した小澤寛樹先生の講演を昨日拝聴してきました。
I先生という初代の長崎大学精神科の教授の話が印象的でした。20世紀初頭に東大を卒後、日本の先駆け的な精神医学の教科書を書いたあと31歳で教授。その後アメリカに留学し、アメリカ精神医学会の名誉会員になってから43歳で精神病を発病して同僚のアメリカ人医師を妄想により射殺してしまったというショッキングな内容でした。アメリカで投獄されたあと移送され日本の病院に長期入院後に他界されたそうです。晩年は人格の荒廃が著しかったようです。I先生は入院患者さんへの開放処遇を教授になってから推進したようでそういう意味でも先駆的な方だったようです。今日はちょっと暗い&重い話ですが、精神医学の歴史の光と闇を垣間見たような感じとあらためて「天才の危うさ」を感じた次第です。
「医師会の支部会議」という名前の飲み会(?)に金曜の晩に参加しました。
私はは札幌市医師会の中央西支部というエリアに所属しています。支部(支部には支部長あり)の下に組があり組長という先生もいます。「組長」というと任侠の世界みたいですね。また組の下に班があり私は第13班らしいです。会議でいきなり「石川先生に班長をお願いします」と言われてしまいました。初めて出た会議でそんなことを言われてとまどいましたが、どうやら雑用係りのようで、開業したばかりの医者の役目ということらしいです。嫌と言う事もできるはずもなく、お引き受けすることとしました。その日は例によってまた少し飲みすぎ、土曜の診療はすこし二日酔のままでました。医師会の先生方、今後とも宜しくお願いいたします。